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Mrs. Little December

なにか考えたり、なにか読んだり、どこかに行ったり。

「努力」という名の「究極の能力」について

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夫は根っからの努力家である。

 

中学生のときに「ゲームなどしている暇はない」と娯楽用品をすべて破棄し、青春を全力で楽しむ同級生を横目にマルクス主義に打ち込むような、ちょっと派手にアナーキーな人物である。口癖は「美しさはシンプルなものに宿る」で、ポール・グラハムLispをこよなく愛すAppleボーイだ。ちなみにわたしはただの凡人である。どちらかというと、人に害を与えるタイプの迷惑な凡人であるかもしれない。

 

そんな夫が、ある日わたしに本を買った。『やり抜く力――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』というしこたま胡散臭い本で、夫はその前にも著者のTED Talkが書き起こされたリンクを送ってきたことがあった。そのTED Talkも、購入されていた本も、どちらも「グリット」と呼ばれる「やり抜く力」に関するもので、夫がなぜそのリンクを送ってきたのか、わたしにはすぐ分かった。グリットの権化がこの世に存在するのならば、それは夫以外にいなかったからだ。

 

逆にわたしは、グリットの権化がこの世に存在していたら真っ先に抹殺されるであろう、努力が嫌いな、それでいて才能論にしがみついた一番質の悪い女である。これまでを振り返っても、ピアノのレッスンは数ヶ月で辞めたし、樹脂粘土やレジンといったハンドメイドの趣味も数ヶ月で飽きた。その後は洋裁に取り組んだが、やはり3ヶ月と持たず、わたしもそろそろ学び始めていた。「わたしには努力ができないんだ」。努力もある種の才能であると、わたしは固く信じていた。

 

そんなことはない。

 

わたしがそう気づいたのは、夫に「才能なんて関係ない。やるかやらないか、それだけだ」と言われ始めてから、ずっと後、つまり最近のことだった。努力は才能なんかではない。生まれてから死ぬまで、目の前に次から次へと飛び込んでくるタスクを「やるかやらないか」、ほんとうにそれだけの話だ。もちろん、与えられるタスクをすべてこなす必要はないし、そんなのは土台無理な話である(夫は「取捨選択が大事だ」という)。自分にとって重要だと思われる事柄に関して、やるか、あるいはやらないか。ことはとてもシンプルだった。

 

グリットの提唱者であり、前述の本の著者であるアンジェラ・リー・ダックワースも、本のなかでいかに「やり抜く力」が「才能」よりも大事なことかを様々な面から語っている。具体的な例も多く、たとえば重度の読字障害を持ちながらも「現代アメリカ文学における偉大な語り手」と称されたジョン・アーヴィングなどは素晴らしい例である。読字障害という時点で、まず誰しもが彼に文学の才能など備わっていなかったと思うだろう。

 

わたしはといえば、幼少期から母に「才能があるね」「きっと医者になれる」と言われ続け、最後にはダメ押しとして「うちは努力ができない家系だから」と見限られ、精神病を患って大学を二度中退した「やり抜く力」とは無縁の存在である。繰り返し語られる母の言葉は、24年間の人生のなかでさすがに色濃く焼け付いてしまったようで、わたしは常にネットで才能のある人物について読み込んでは落胆し、自分の凡庸さを嘆いた。しかし、今更になって気づいたのである。わたしは努力ができないのではなく、単に努力をしたことがない。しようと思ったこともないのだ。

 

それで早速、1歳になる我が家のドラ息子に白羽の矢が立った。目は大きいが脳みそは小さいバロンという名のチワワなのだが、これがまったくしつけのなっていない犬である。無駄吠え、粗相、誤飲、散歩への抵抗など、犬を飼ったら経験するかもしれない問題リストを片っ端から体現する。わたしはといえば引き取って以来まともなしつけを行ったことがなかったので(ひとつだけ言い訳させていただければ、最近まで持病がかなり重症だった)、ちょうどよい実験材料だったのだ。わたしは毎日早起きすることを決め、起きたら必ずバロンの散歩に出かけた。家の中で吠えようものならば引っくり返してマズルを掴み、わたしと夫が「自宅警備」と呼んでいる行為――窓の外の通行人に吠え立てる――をやめさせるコマンドを教え込んだ。まだ5日ほどしか経っていないが、わたしはこれらを毎日実践した。要は努力したのだ。恐らく、生まれて初めてまともに。

 

バロンの成長は目覚ましかった。散歩は相変わらず自転車や自動車、それにくわえて通行人に発狂する問題児っぷりだが、少なくとも家のなかでの振る舞いはかなり改善した。コマンドも覚え、従うようになった。頭が悪かったのはバロンではなく、わたしのほうだった。

 

努力は遅かれ早かれ実を結ぶということを、実感した1週間だった。そして、ダックワースが言うところの「希望」を見出した1週間だった。著書の中に、

 

「自分たちの努力しだいで将来はよくなる」という信念

 

というフレーズがあるが、これを見つけた気分だ。わたしの努力次第で、わたしの人生はなんとでもなる。そしてそれは、わたし以外の誰にでも適用可能なルールだった。

 

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