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Mrs. Little December

なにか考えたり、なにか読んだり、どこかに行ったり。

能動的な読書の重要性について

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わたしは物心がついたときには既にそれなりの読書家だった。といっても、祖母が与えてくれたきかんしゃトーマスの絵本に始まり、時代の流れにそってハリー・ポッターダレン・シャン、それから数々の文庫本へと流れていった、いわゆる小説専門である。長いこと実用書のジャンルには惹かれたことがなく、それは夫と出会う今日までずっと続いていた。

 

うつ病と読書

 

うつ病と向き合うようになってから、小説ばかり読んでいたわたしの生活にも変化が現れた。哲学書や実用書ばかり読んでいた夫と出会ったことが大きな要因でもあり、「まずは自分の病気について、わからないことがあるなら本を読んでみな」という夫の言葉がきっかけだった。うつ病パニック障害認知行動療法スキーマ療法についてのめぼしい本をただひたすら読んだ。そして最近、投薬治療も安定し、認知行動療法を使って回復を目指そうと思った矢先に、自分には何の知識もついていないことに気がついた。

 

能動的な読書について

 

冊数にして10冊以上の本を読んだはずだったわたしは、この事実に呆然とした。夫に相談してみれば、それはわたしがほんとうの意味での「読書」を怠ったからだという。読書に種類などなく、それはただ与えられる情報を目で追って、最初のページから最後のページに届けばよいという競技か何かだとおもっていたわたしは、再び愕然とした。わたしは今まで「能動的な読書」を一切してこなかったのだ。

 

能動的な読書として、わたしが考える要点は以下である。

 

  • 本の命題を理解しておくこと
  • 目次などで本全体の流れをつかむこと
  • 一章ずつゆっくりと理解しながら進むこと。理解ができない文章などがあれば、繰り返し読んで理解してから先に進むこと
  • 本を読み終わったあと、アウトプットを行うこと

 

実用書とは、ひとつの大きな論文のようなものである。論文には命題が存在し、そのひとつの命題を読者に事細かに解説することによって本が生まれる。本を買ったとき、読み始める前に、その本が何を伝えようとしているのかを理解しておくことは非常に重要だ。たとえば「認知行動療法について」という本を買ったならば、その本は恐らく認知行動療法の成り立ちや実行方法が載っていると考えるのが普通だろう。

 

続いて、読み飛ばしがちな目次も大切だ。目次はその本の中身を簡単に要約してくれているようなもので、目次を読むと本全体の流れを予め頭にインプットしておくことができる。次から次へと知らない話が始まるのではなく、大体どういう風に論理が展開されていくのかを理解しておくことができるのだ。

 

さらに、読書のペースについてである。「読むのが速ければ速いほどよい」というのはわたしが嵌っていた完全なる誤りである。本を読むのがいくら速くても、中身を覚えていないのではなんの糧にもならない。そこで、本を読む際は一章ごとに区切って読むことをおすすめする。一章読み、内容を理解し、もし理解できないのであればもう一度読み、さらに目次をチェックして今自分が大きな流れのどこにいるのかを確認する。わたしのようにはじめて実用書を真面目に読む人間であれば、ノートを取るのも理解に役立つ。このとき、本の文章を丸ごと写してノートを取るのではなく、自分の言葉でまとめ直すのが肝要だ。目的は本を理解することであって、丸暗記することではない。

 

最後に、読んだ内容をアウトプットするという作業がある。これは、自分がちゃんと本の内容を理解しているかどうかを確認するいわゆる「テスト」のようなもので、他人や犬、ぬいぐるみにでもよいので、自分が読んだ本の中身をわかりやすく解説してみるのだ。もし解説しきれない場所があれば、その特定の場所の理解が不十分であったとわかるので、再度本に戻って読み直すべきだ。ブログなどにアウトプットするのも、大変だが非常に有用な策であるといえる。

 

繰り返し言うように、読書の真の目的は暗記ではなく内容の理解だ。年号を丸暗記させられる日本の教育下で育った人々には非常に難しい話かもしれないが、誰もあなたの読書に点数をつけようとはしていない。ただ純粋に、自分の知識を広めるために、楽しんで能動的な読書を実践していただければと思う。

(4)うつ病と投薬治療――薬に頼らない治療法はない!

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うつ病というワードでAmazon等を検索すると、「クスリを使わず治す」とか、「うつ病は漢方で治る」とか、怪しい書籍をたくさん見かける。自分が飲んでいる薬の効能を検索しようとGoogleに向かっても、「◯◯という薬を処方されたのですが、怖くて飲めません」といった悩みを見かける。忍耐の国であるゆえか、日本人はどうやらあまり薬に頼りたがらない民族なのではないか、と錯覚するくらいだ。うつ病の治療過程において、正しい投薬治療を受けるのは何よりも大切なことである。今回はその理由をご説明したい。

 

今まで投薬治療を避けていた理由

 

このように大々的に投薬治療を薦めるわたしにも、投薬治療に苦手意識を持っていた時期がある。まず第一に、抗うつ剤離脱症状への恐怖が挙げられる。離脱症状というのは、信じられる医師の正しい采配の下、正しく減薬すれば最大限抑えられるものではあるが、ネットなどでは薬を飲まないほうがよい理由として「離脱症状が耐えきれないほど苦しいものであるから」とされることが多い。わたし自身、身の回りに急な断薬を行ったために酷い離脱症状に見舞われた人がいて、正しくない断薬の知識ばかりが募り、結果的に投薬治療を受けない時期が長いことあった。

 

離脱症状も含め、抗うつ剤はたしかに扱いの難しい薬ではある。投薬をするにしても、開始量から治療量まで段階的に投薬量の設定がされており、吐き気などのメジャーな副作用を避けるため、投薬は少しずつ量を増やしていくというのが一般的な治療方法だ。ここで第二の問題として挙げられるのが、「治療量に満たない投薬を『抗うつ剤が効いていない』と錯覚すること」だ。抗うつ剤は一瞬で魔法のように効く薬ではなく、たとえば15mg、20mgと増やしていって、治療量である40mgになってから6週間以上が経過してはじめて、その抗うつ剤が効いているか効いていないかの判断がつく。その判断を待たずして、なんの改善も見られないから、と投薬治療を止めてしまったことが、わたしの2つ目の失敗だった。結局、正しい知識と信頼できる医師の下、再び投薬治療を始めた結果、まずはパニック発作が嘘のように消えてなくなったというのに。

 

投薬治療を再開したきっかけ

 

投薬治療を再開したきっかけは、『パニック障害はここまでわかった』という本を読んだことにある。当時はうつ病よりもパニック障害のほうが重要な問題だったわたしが、はじめて読んだ病気についての本だったのだが、この本にはうつ病にも適用可能な治療のプロセスがわかりやすく解説されている。パニック障害を含む心の病や精神病を患っている人には、「まず投薬治療で症状を落ち着かせること」が推奨される。ひどいうつ状態や、パニック発作で夜も眠れない日々が続いているのに投薬治療を行わないのは、折った足の骨にギプスも当てずに過ごしているようなものなのだ。足を折ったなら、まずはギプスを当て、対処療法として鎮痛剤が処方されるだろう。リハビリが望めるのは足の骨が充分に治癒してからで、まさか折ったそばから折れた足で陸上競技をしようと思う人間などいないはずだ。うつ病パニック障害を患いながら投薬治療を行わないのは、まさに折った足で走ろうとしているようなもので、まずは対処療法として、今その瞬間の辛さを薬で落ち着かせる、これが何よりも肝心なのだ。

 

そして、ある程度効果が見られたら、今度は認知行動療法などのカウンセリングによって、足を折ったときの「リハビリ」に相当する訓練を積み始めることになる。これについてはまた次の記事で触れていきたい。

 

(5)に続く

 

前の記事はこちら:

mrslittledecember.hatenablog.com

文房具が好きな話

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夫はプログラマーである。職業柄なのか、効率を何よりも重んじる性格ゆえなのか、夫は電子機器以外のものになかなか興味を示さない。そんな夫の伴侶となったわたしは新品よりもヴィンテージ物にそそられる、いわゆるとてもアナログな人間である。人並み以上に電子機器は扱えるが、それでもワープロよりもタイプライターが、デスクトップのメモ帳よりもモレスキンが好きな人間なのだ。

 

文房具好きは物心ついたころに遡る。当時お小遣いを1000円もらっていたわたしは、大抵それらを新しい文房具に費やした。新しいボールペン。新しいノート。購入するが、使い切ることはない。ノートを一冊使い切るというのはよほど差し迫った理由(学校の授業で必要だから、とか)がなければ珍しかった。ただ、新しいピカピカのランドセルを試しに背負ってみる小学生のように、新品の文房具をロフトのシワのない黄色い袋に入れてもらって、それを帰宅早々開封するのが一番の楽しみだった。今でもそれは変わらない。

 

ということを思い出したのも、最近、認知行動療法について学ぶなか、「手書きのほうがより効果が得られる」といった文章を散見するようになったからだ。大人になってもわたしの文房具好きは留まることを知らず、その文章を見たわたしはこれこそが好機と様々なサイズのバインダーで手帳をこさえては、認知行動療法そっちのけで認知行動療法に最適な文房具選びと文房具の使途について考察することに精を出すようになり、はっと我に返ったとき、「そういえばわたしは文房具が好きなのだった」と思い出したのだ。

 

年の暮れというにはまだ早いが、ロフトなどの雑貨店は既に新しい手帳を平積みにしている。手帳もまた、わたしの心をくすぐりながらも使い切れないアイテムのひとつで、ほぼ日手帳がリリースされているさまを横目に、なんとか購買欲を抑える日々が続いている。ほぼ日手帳は去年ものの試しに買ってみたのだが、結局1日も埋まらないまま2016年が今日まで過ぎていった。ほぼ日手帳にしろ、モレスキンにしろ、「前から順番にページを埋めていく」という作業が苦手らしい。そこで最近はシステム手帳やルーズリーフに頼って、ページを簡単に入れ替えられるようにと気を使ってみたのだが、それでもやはり手帳や文房具を使わずに溜め込む癖は治らないようである。

 

物心ついてからこの方、この癖が非常に恥ずかしくてたまらなかった。ノートを一冊使い切ることができないのはわたしが病的な完璧主義者で、「ノートに何か書いた瞬間にそのノートの価値を一瞬で失わせてしまうような文字を書くわたしには到底使えません」という本末転倒な思考があってのことである。それでも一般の人々がほぼ日手帳モレスキンを使いこなして、そのページをアップロードしているところを見るのは大好きで、昔のプリクラ帳よろしく、わたしもいつかはそうしてノートをしっかりと(そしてきれいに。フォトジェニックに)使える日が来たら良いなあと思っている。

 

でも自分の、ちょっとした猫に小判的な文房具の愛し方もあってはいいのではないか、と思った。こうしてまたわたしは新しい文房具を求めて、ロフトの文房具フロアをうろうろするのであった。

すべてを魔法のように解決してくれる! シルバー・バレットは存在しない

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うつ病に悩んでいると、もし朝起きて、すべての症状が和らいでいたら…と思わざるを得ないことが多い。それだけではなく、たとえうつ病でなくても、「これさえ手に入ればすべてが魔法のようにうまくいく!」と思われる本や製品、モノというのは誰もが一度は夢見ることだと思う。そういうモノのことを、海外では「シルバー・バレット(銀の弾丸)」と呼ぶ。狼男や魔物を退治する際、銀の弾丸でなければ彼らを仕留めることはできないとされていることに由来する。

 

しかしそんなものは存在しない。これは夫の口癖でもあり、わたしが未だ理解に苦しんでいることでもある。明日目が覚めたら、とは言わず、今この瞬間から、「自分を変えてくれる」本や製品がないだろうか。もっと大きな家に住めば、もっとお金を自由に使えたら、うつ病にならないかもしれない、そう思ってしまう。しかし残念ながらそんなモノはないし、「人生を変えた一冊」とか、「人生の転機」というのは大抵がマユツバもので、何かのきっかけで人生が変わったらしい人が、自己の人生を振り返って「あの一瞬がすべてのはじまりだった」とドラマチックに語っているに過ぎない。

 

つまるところ、シルバー・バレットが存在しない以上、我々は努力するしかないのである。人生を変えるためには、自分を変えるためには、毎日コツコツと何か積み上げていくこと、それしか方法はないのだ。『やり抜く力――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける』にも再三書かれているように、オリンピックの選手やノーベル賞の科学者は、ある日突然素晴らしいパフォーマンスが出来るようになったわけではない。彼らは小さな努力を毎日毎日積み重ね、何十年という時を経てようやくスターダムにのし上がるのである。

 

結局、うつ病であるにしろないにしろ、自分を変えるためには努力が必要だ。目標を立て、それを小さな目標に分け、それをさらに細分化し、そして毎日実行可能なタスクに落とし込んでいく。言うのは容易いことだが、物事の仕組みというのはシンプルマニアの夫が小躍りするぐらいにシンプルで、「やるか」「やらないか」、この一点に尽きるのだった。

 

ただし、無我夢中で何に対しても100%の力を発揮して努力するべきだというのとは話が違う。目標も掲げずにただ勉強するのでは、『やり抜く力』にあった『意図的な練習』にはならない。『やり抜く力』によると、意図的な練習とは、

 

1. ある一点に的を絞って、高めの目標を設定する。

2. しっかりと集中して、努力を惜しまずに、目標の達成を目指す。

3. 改善すべき点がわかったあとは、うまくできるまで何度も繰り返し練習する。

 

の3点を盛り込んだ練習のことを言う。何かをやろうと決めたならば、そこに目標は必要不可欠だ。たとえば「うつ病を治す」ということでも、「昇進する」ということでも、それを「しっかり通院をする」とか、「商談の成功率を◯◯%にする」とかいう中目標に落とし込み、それをさらに「薬を用法用量を守って毎日欠かさずに飲む」とか、「取引の場に遅れないように30分前に行動する」とか、どんどん具体的な目標をひねり出していくのだ。実は、何かを実行するより、計画を立てる段階のほうが難しいと思う人が多いかもしれない。実際、いざ「あなたの目標はなんですか?」と聞かれたところで、数秒ポカンとしてしまうくらい、目標を立てずに生きている人が大多数だからだ。

 

そういうわけで、シルバー・バレットは存在しないが、存在しないからといって自分が変われない言い訳にはならない。シルバー・バレットの代わりに、我々は普通の弾で、射撃場で、的の真ん中を射抜けるように日々努力していくしかないのである。

(3)うつ病と退職と結婚――病気と大きな決断について

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わたしはうつ病を患ってから、退職と結婚という人生で一番大きな決断を2度下した。うつ病向けの書籍にはよく、「うつ病の間に大きな決断を下さないこと」という忠告が載っているが、当時わたしは自分の病気についてそこまで理解はしていなかった。それで退職し、わたしやわたしの病気をよく理解してくれている現在の夫と結婚したのだが、当然良かったことと悪かったことがある。また、夫でなければうまくいくことは無かっただろう、ということも。

 

退職を決めたワケ

 

退職を決める直前、わたしは毎日ひどい抑うつ症状に悩まされていた。仕事は手につかないし、定期的に襲ってくる吐き気のせいで、何度もトイレに通った。休憩時には毎日泣いて、そしてこれらの症状は良くなるどころか悪化の一途を辿った。「もうダメだ」と思ったのが、退職のきっかけであった。

 

いきなり退職という選択肢を選んだのは、当時勤めていた会社に人を休職させる余裕がないように見えたこともある。休職がまかり通るような大きな会社であれば、わたしはまず同じ状況の人間には休職を勧めたい。その頃の感情として、わたしは会社に多大な迷惑をかけるダメ人間――実際は、退職を決めたあとのほうが会社に迷惑をかけていたのだが――だとしか思えなかった。少し仕事と距離を置いて休みたい、とか、仕事がつらい、というレベルの話ではなく、とにかく「もうダメだ」と思ったのだった。それで、現在の夫と結婚し、表向きは寿退社ということになった。

 

うつ病と結婚

 

わたしが退職を決めたとき、当時付き合っていた現在の夫との結婚が決まった。当然わたしは唯一の仕事を投げ出すため、一文無しになるところであったし、夫とは既に同棲生活をしていた。退職を決めてすぐにわたしたちは婚姻届を出し、夫婦となったが、人生で一番うれしいはずの結婚ですら、わたしのうつ病はすぐに飲み込んでしまった。わたしをわたしよりもよく知り、わたしの病気についてもわたしより学んでいた夫は、わたしを「療養させる」として、最低で1年間の専業主婦生活を与えてくれた。しかし、これも良いことばかりではなかった。

 

うつ病になると湧き上がる感情のひとつに、「わたしは何もできない」「わたしは普通の人にもなれない」というのがある。専業主婦生活はその気持ちを強めるばかりで、実際にうつ病がひどく何もできない日々が続いた。こんなことなら仕事を辞めないほうがマシだったのではないかと思うくらいだったし、実際、今でも突然退職を決めてしまったことは多大に後悔している。重度のうつ病患者にとって、毎日は自分のことで精一杯だったし、家事もろくに出来なかったから、夕飯が惣菜で済まされることも多々あった。夫は理解してくれているのに、それに応えてあげられないことが毎日辛かった。こうしてわたしが生きていられるのは、夫という人物が特殊だから、という事実に尽きる。

 

うつ病の配偶者を持つには覚悟が必要

 

これは当然のように見えて、うつ病患者自身も、その配偶者もどうしても甘く見てしまうことだと思う。うつ病は回復までに時間のかかる病気だ。1ヶ月も何もせずに休めばそれで治る、ということはない。その間、患者が重症であればあるほど、専業主婦につきものな毎日の家事といったものは期待しないほうがいい。患者はこれから数年間の間、ほとんど配偶者におんぶにだっこの状態で生きていくことになる。この連載のなかで何度も述べているが、うつ病の患者と結婚する、あるいは現在深い関係にあるとしたら、患者自身も含めて、とにかくうつ病について徹底的に学ぶことが重要だ。「知らなかった」では済まされないことが、結婚生活には多々あるからだ。

 

さらに常識的な立場から物を言うとすれば、「うつ病の間は大きな決断は避けたほうがよい」。退職はできれば休職に、結婚はできれば保留にしよう。うつ病の間、環境の大きな変化は悪化の引き金になることしかないからだ。

 

(4)に続く

 

前の記事はこちら:

mrslittledecember.hatenablog.com

 

(2)うつ病になるとできなくなること――仕事と日常生活

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わたしのうつ病が本格化したのは1年ほど前のことである。それまでは毎日なんともいえない憂鬱な気持ちを抱えながら、ただダラダラと怠慢な日々を過ごしていただけだったのが、はじめてフルタイムの仕事に就いて1年あまりで突如悪化した。

 

うつ病と仕事

 

そのころ、わたしは友人の会社で事務職としてフルタイム勤務をしていた。うつ病よりもパニック障害のほうが深刻で、1人で1歩も外を出歩けない、電車に乗ることができない、混雑した場所に行けないなど、とにかく様々な問題を抱えていたが、幸い抑うつ症状はわたしを行動不能にするほどのものではなかった。それが、ある日突然、爆発を起こしたかのように典型的な抑うつ症状が現れた。出勤しても今まで出来ていた仕事ができず、メールの返信に3分かかっていたのが、ゆうに10分以上かかるようになった。定期的に吐き気に襲われて何度もトイレに駆け込むようにもなり、煙草休憩のたびにベランダで訳もなく泣いた。うつ病というのは緩やかに育っていくものではなく、「ある日突然」自分がダメになる、そんなものだった。わたしのうつ病は軽度のものから一転、重度のものになっていた。

 

うつ病と日常生活

 

うつ病が影響を及ぼしたのは仕事だけではなかった。日常生活が送れなくなる、という話はインターネット上によく出回っているはずだが、実際にその通りになる。ベッドから起き上がることができなかったり、意味もなく突然号泣したり、何もかもが絶望的に見えて、世界に存在しているのは自分1人であるかのような孤独感に苛まれる。このフェーズに入ると家事などはもってのほかで、もっぱらお惣菜やインスタント食品で済ませるか、酷いときは食べることすら億劫になるので、何も摂取せずとにかく横になっている。「家事が嫌だからうつ病を盾にしている」のでは決してなく、休日も楽しむことはおろか、家から出ることもできない。この頃のわたしは、トイレに行くといったタスクですら、エベレストを登る気持ちで臨まねばならなかった。

 

うつ病と戦うためにはサポートが必要不可欠

 

こうなってしまうと、もうお金を稼ぐことも出来ないし、自分の身の回りのこと――特に食事――は1人で出来なくなる。重度のうつ病患者が、自身の病気と向き合い、治療に専念するためには、家族やあなたを大切に思ってくれている人からのサポートが何よりも必要不可欠である。金銭面や、生活面での憂いを一時的に無くしてもらわなければ、うつ病患者がその底なし沼から抜け出すのは大変な道のりになる(もちろん無理ではないかもしれないが、無理に近いとわたしは思っている)。

 

もし、あなたが今うつ病に悩んでいるのであれば、周りの人々にうつ病についての本やパンフレットを配って、理解を深めてもらってほしい。現実、傍から見たらただのニートのような病気に理解を示してくれる人間は少ないのが現状だが、それでも最低限、休職や退職による金銭面だけでも、親などに工面してもらうのが良いだろう。わたしは諸事情で利用できなかったが、障害年金も利用価値が大いにある。またもし、あなたの親族や大切な人がうつ病のような症状で悩んでいるのであれば、やはりうつ病についての理解をまず深めて欲しい。出来る限り科学的な面からうつ病を説明する本を一冊でも読めば、これがただの「気持ちの問題」ではないことに気づけるはずだ。重度のうつ病の治療において重要なのは、どれだけ病気を理解し、サポートしてくれる人間が周囲にいるか、この一点につきるのである。

 

(3)に続く

 

前の記事はこちら:

mrslittledecember.hatenablog.com

(1)「遺伝」と「環境」と「無知」――わたしがうつ病になった原因

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記事のなかでも何度か書いている通り、わたしはうつ病パニック障害を患っている。そう診断されたのは20歳のときだったが、うつ状態をはじめて経験したのは16歳のころだった。当時わたしは親の都合でイギリスのとある小さな村に住んでいて、近くの高校に通っていた。アジア人はおろか、イギリス人ではない人種を見かけることもない片田舎だった。その頃は英語を喋ることもできず、当然友達など出来るわけもなく、次第に不登校になっていったのだが、わたしはこれまでずっと、自分のうつ病の起源をその体験に求めていた。つらい体験だったから、それがわたしをうつ病にしたのだと思った。

 
うつ病は遺伝的な病気である

 

しかし、うつ病が発症したのは、つらい体験が原因ではなかった。うつ病とは、遺伝的な病気なのだ。ブライアン・P・クインによる『「うつ」と「躁」の教科書』 には、この証明として以下のような科学的根拠が挙げられている。

 

まったく同じ遺伝子をもつ一卵性双生児で別々に育てられた2人のうち、一方がうつ病になったとすると、もうひとりもうつ病になる確率は一般の発病率よりも高い。

実の親や親類にうつ病患者をもつ子どもは、うつ病でない養親に育てられたとしても、うつ病になる確率が一般の発症率よりも高い。

 

これらの根拠を体現するかのように、わたしの兄弟は全員何かしらの精神疾患を患っている。母も健康的な精神の持ち主だとは言い難く、パニック発作を何度か経験したことがあるくらいだ。つまりうつ病は、癌が遺伝するかのように脳機能障害として受け継がれるものであり、決して自分が打たれ弱いから、といったような茫漠な原因が元になっているわけではないのだ。

 
うつ病の育て方

 

とはいえ、うつ病が遺伝的なものである限り、うつ病患者の血縁の養育者も何かしらの問題を抱えていることが多い。たとえばわたしのケースでは消極性の女王とも言うべき母の存在が少なからず後年のうつ病の発症を手伝った節がある。母はうつ病でこそないが、非常にネガティブな思想の持ち主で、常に人生の不幸を嘆いては具体的にはなにも対処をしない女性だった。必然的にわたしもすべてのことがらについて一定の無力感を持つ大人に成長し、親元を離れるまでその異常なまでの消極性には気づくことがないくらい、自分も悲観主義者だった。前述のクインも、遺伝的にうつ病になりやすい子どもが、なんらかの精神的問題を抱えた家庭で育つと、うつ病を発症する確率はさらに高くなると述べている。この点においても、うつ病というのは発症した人間のせいではない。誰にも親は選べないのだ。

 
うつ病について学ぼう

 

さて、ここまでうつ病がいかに「自分のせい」ではないかを語ってきたが、最後は自身の努力でどうとでもなるポイントになる。わたしは16歳のころから一定の抑うつ症状に悩まされてきたが、「病院に行くほどのことではない」と一度取った精神科の予約を取り消したことがあるし、真面目に投薬治療を始めたのもつい1年ほど前のことだ。これがいけない。一旦うつ病を発症したのなら、うつ病について積極的に学ぶ姿勢は大変重要である。なぜならメディアや口伝で伝わっているうつ病についての情報――うつ病は甘えだとか、うつ病はすぐに治るとか――は間違っていることばかりだからだ。うつ病を発症したばかりのころは、たしかに本を読むのも、そしてそもそも本屋に行くことすら困難な日々が続くが、少しでも余裕があるのなら、その余裕はうつ病についての学習に使うべきである。わたしもうつ病は抑え込むものであって、治るものではないと思っていたし、抗うつ薬にはなんの信頼もなく、最終的には「自分は病気ではないのかもしれない」という疑念を抱くほどだった。うつ病は甘えでも、すぐに治る病気でもない。ほかのどんな病気よりも、患者自身が自分の病気を理解することが、治療への近道となる。だからわたしは今でも16歳のころに精神科へ向かわなかったことを非常に後悔している。

 

それでもうつ病はあなたが悪いから、ダメ人間だから、あるいは弱いから発症したのではない。うつ病は立派な脳機能障害であり、遺伝で受け継がれるものであり、そして治療すればどうにかなるものだ。あなたが今うつ病であることに悩んでいて、解決策を探しているのであれば、まず自身の病気について知識をつけることをおすすめしたい。そうすれば、向かうべき方向が自ずと分かるからだ。

 

(2)に続く